母親の向き不向きって何よ
さて今回から本格的にコラムを書いていきたいと思います(思ったより早く取り掛かることができてホッ)。
前回の記事で、私は自分のことを【母親に向いていない性質のまま母親になってしまった人間】と形容しましたが、今回は『じゃあ母親の向き不向きって何よ?』という話を。
自分で書いておいてナンですが、そもそも母親ということに向き不向きがあるという表現自体が実はちょっとおかしいです。
私は女で、子どもが出来て産んで母親になった。人生の選択としてその役割を担う流れが来ただけで、向きも不向きも関係ないです。今は冷静にそう考えています。
じゃあどうして私がそんな表現をしたのか。それは、出産当時の私が人一倍【母とはかくあるべき】という考えに固執する人間だったからです。私の中の【あるべき母の姿】という型に当てはまるか当てはまらないかで自身のことを測り、自分がそこにまったく当てはまらないと気づいたために、【私は母親には向いていない】という判断を下していました。
当時抱いていた、私の中の【あるべき母の姿】とは?
細かく挙げればキリが無いので大雑把にまとめますが、
・母親は自分より子どものことをいちばんに考える生き物だ
・育児は大変だけど、子どもの可愛さがあればどんなに辛いことでも乗り越えられるものだ
そんなところでしょうか。
この考えはどこから来ていたんでしょうね。自分の母親世代の女性たちから刷り込まれてきたものだとも思うし、娘の出産当時(12年前)は世の中も今よりずっと、【子育ては母親の仕事】という概念が色濃かったように思います。
その思想で、私はとても苦しむことになります。
そのへんはまた次回で。
(あんまり長くなるときれいにまとめようとして続かなくなっちゃうので)
大迫麻子
0コメント