あの頃の私の頭の中

ずいぶん間が空いてしまいましたが、子育てコラム第三回です。

今でこそ私は『子ども?元気で生きていればそれでいい。究極死ななければいい』という考えでいますが、そんなざっくり感覚で初めての子育てに向き合うのはなかなか難しいのではないかと思います。

前回のコラムで、私が人一倍『母親としてしっかり子育てせねば』という考えの持ち主だったということを書きました。

『私は私でなく、母親という生き物にならなければいけないんだ…』

そんな風に思っていました。

そう思っていたというよりも、そう思うしかなかった、というほうが正しいかもしれません。

子どもの乳幼児期は、自分の欲求よりも子供の欲求を満たして日々生きていかないといけないですよね。睡眠などの生理的欲求が満たされないのはいちばん辛いですが、それだけでなくほんのちいさな欲求…例えばアイスクリームが食べたいとかゆっくり漫画が読みたいとか自分の好きなテレビが見たいとか。そういったことすら叶わないような日々です。どんなに疲れていても、やりたいことがあっても、自分よりも優先させなければいけないものがあり、更にそれは気を抜くと簡単に命の危険にさらされる存在。一時も気を緩められません。その緊張状態がずっと続くわけです。数日でも厳しい緊張状態が数年単位で。そりゃあキツイですよね。特に私は自分の育ってきた環境(父親は会社員であまり家庭を顧みず、母親が家族の世話をなんでもカバーする専業主婦)により『家事や子育ては母親が主に担うもの』という昭和感たっぷりの意識で塗り固められていたので、私もそうあらねばという考えがとても強くありました。だから、子どもの父親である夫に助けを求めるということもあまりせず(やってくれたらラッキーくらいの意識)、自分で乗り越えなければ!と思っていたような記憶があります。

このころの私は『どうせ今は自分の欲求を実現することはできないんだから、欲求へのアンテナを鈍らせてしまえばいい(それが私じゃなく母親になるということ)』と、自分に言い聞かせていたような気がしますね。

真面目に、自分の描く『良き母』になろうともがいていました。本来の自分の気持ちを無視しているわけだから苦しくなるばかりなのに、変わらなければと思っていました。そして苦しいばかりで変われない私は良い母じゃない、ダメだなあとも。辛い自己否定の日々でした。

今当時の自分に声をかけるとしたら、『そんなに思いつめなくて良いじゃない』って言います。だけど変わろうとしていた自分に対し、健気に頑張っていて偉かったねって愛しくも思います。クサいですね、うふふ。

時代は令和になりましたが、最近のお母さんはもっと気楽な感じで子育てできているのかな。いろんな人がいるので簡単には言えないですが、世の中の流れとしてそういうムードになっていると良いな~って心から思います。

まとまりも結論もないですが、今回はこんな感じで。



大船1day親子ひろば

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