7月4日は不登校についてみんなで話す会
不登校note更新しました。
こういうことがあると、どうしても子どもたちの気持ちのほうになってしまう。そういう私自身がまだ子どもなのかもしれないって思います。
親だったら、ここで子どもをちゃんとさせなきゃいけないのかもしれません。確かにそれが躾というものだとは思います。
だけどそれが行き過ぎて、子どもの『子どもらしさ』を奪って強制的に大人にしていくことなのだったら…
断固、NOを叫びます。
その子らしさを否定して捻じ曲げ、本人が望まない姿へと無理に導くことが、ゆくゆく親子にとってどれだけ苦しみを生むか。身をもって体験しているからです。
私は『ちゃんとさせる』ことを辞めました。ハラハラすることは多々あれど、黙って子どもに任せていたら、子どもたちはちゃんと自分から『ちゃんと』するようになりましたよ。まあ数年はかかりましたし、家庭の中での姿しか見ていませんけれど。『ちゃんと』って、親の言うことを聞く良い子になったというのではないですよ。早く寝たり目覚ましをかけて起床したり、明日の準備や課題など、こちらがあれこれ言わずとも自ら行うようになった、ということです。生活を整えるということ(=ちゃんとした暮らし?)をすすんでできるようになった。
子どもに任せるということは、放置するのとは違います。親としての気持ちを子どもに伝えるということは欠かせません。どんな場面でも、大人も率直に素直に誠実に。策略や下心(こう言えばああするだろうという邪な期待とか、物でつって言い聞かせようとすること)なく、自分の心をまっすぐ子どもに伝えるってことはとても大切なことだと思います。
note記事のの公園の一件だって、学校に通報するのじゃなくて、直接子どもたちに『ちょっと話があるんだけど聞いてくれるかな?』って言うのが大人の筋じゃないかと思うのに。そうやって子どもたちに近づいていけないのは、なぜなんでしょうか。
私たち大人が、人と接することに不慣れになってしまっている時代なんでしょうね。これからそういう傾向はもっと加速していくと思います。
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