『子育てしにくい』は、どこから来るのか
はじめにお知らせ。7/5(火)は『不登校についてみんなで話す会』です。詳細は下のチラシをご覧ください。
最近の息子は年度が変わってから週一登校の日々です。環境の変化と不登校、難しい問題ですね。また改めて【不登校note】に書きたいと思います。
今日は違う話。息子が学校に行かない日も放課後は友達が家を訪ねてくれて、よく外に遊びに行っています。それが、先日ポロリと『近所の公園で遊べなくなった』とこぼしました。理由を聞くと、どうも子どもたちの遊ぶ声がうるさいと、公園の近くに住む一緒に遊んでいた友達の家に苦情が入ったそうなんですね。それを受けて、その家のお母さんから『ここではもう遊ぶな』と言われたとのことでした。
うーん。何と残念なことでしょう。子どもが元気に遊ぶことが許されないとは。
それで思い出したことがあります。私が今のマンションに引っ越してきたときのこと。
隣と階下の家に引っ越しの挨拶に行ったのですが、下の住人と初対面のそのとき、『このマンションは音が響くんですよ』と、いきなり教えられました。『これまでも、こういう音がこんな風に聞こえてきて…云々』『私も子育てしてたのでわかるんですけど…』『下から上への音も気を付けますね~』と。これは小さい子どもがいる我が家へ、『だからうるさくしないでね』ということを暗に伝えているのだな、と理解しました。そして、『あっ。ここでは子どもは歓迎されないんだ』と、残念に感じた気持ちをよく覚えています。
その後、階下のその家から直接苦情が来ることもあったりして、軽くノイローゼ気味になったことも。そのときは子どもたちにも色々制限してしまって、かわいそうなことをしたなーと思います。
マンションでそういうことがあってから、私がもし夫婦二人だけの暮らしになって、身近に赤ちゃんや子どものいる家庭が引っ越しの挨拶に来るということがあったら、絶対絶対絶対!!『子どもたちを伸び伸びさせてあげていいからね、音なんて気にしないで過ごしてね、子どもは元気なのがいちばんなんだから、赤ちゃん(子ども)が近くに引っ越してきてくれてうれしい』と言いたい!!と、ずーっと思い続けています。
どんなに支援が充実しようと、箱(居場所などのハード面)が増えようと、結局暮らしのそばに在る人が子どもに冷たいのでは、いつまで経っても子育てのしやすい世の中になどならないのです。
『子どもが歓迎されている』『温かく見守られている』という安心感を持って暮らせなければ、不安や心細さが募り、ますます育児は密室化して孤独なものになります。その不安は、必ず子どもにも伝わってしまいます。
そうすると、結局子育て家庭だけで徒党を組んで、外側から文句を言われることのない“安全”で塗り固められた場所でしか過ごせなくなり、人々の分断が進むのです。屋内の遊び場が盛況なのは、そういうこともあるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、小さい子どもを持つ親が息を潜めて生きなければならない環境では、いくら仕組みが整えられたところで、いつまで経っても子育てしにくい世の中は変わりません。子どもが増えるはずない訳です。
これは、子どもが迷惑をかけても目を潰れということではありません。明らかに子どもがやりすぎなこともあります。子どもに優しくなることを全ての人に強要することはできません。冷たい人や面倒な人に出会うことは必ずあるでしょう。そういったときは、対話ができるのが理想ですね。
ときにはそんな難しさがあっても、子どもへの温かなまなざしが身近に多ければ多いほど、子育てに対して安心感も希望も持ち続けていられる。必要以上の不安を抱かずにいられるなら、それがいちばんいいのです。
だから私は、身近な子どもたち(もちろん親御さんも)に安心と信頼を。それは簡単なことではなく、ずっと失敗と試行錯誤をしてばかりですが、これからも自分にできる小さなことを続けて行こうと思います。
さっちゃんち、遊びに来てくださいねー!
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